相撲起顕星取表BBS

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弘化三年冬の生月 相撲史研究者・田中 健

2025/05/28 (Wed) 21:50:47

 弘化三年冬、土俵入り専門の超巨人、生月
が取組に出場。二日目は東前8紅葉川の次に
登場したのに、五日目は三立山戦の直後2番
が幕下取組となっています。どのように…
…解釈されますでしょうか…?

Re: 弘化三年冬の生月 - しろしたかれい

2025/07/06 (Sun) 17:13:33

>田中様

当場所の取組順は生月の後の幕下取組もそうですが微妙に番付と合ってないところがあります。和歌ノ浦の取組順が早い日があったりよくわかりません。

弘化三年春2日目の疑問 相撲史研究者・田中 健

2025/01/12 (Sun) 17:41:30

 弘化三(1846)年春場所の二日目は『起顯』では
中入り前に幕内力士が関係する取組は一番もなく
中入り後に7番が集中しています。したがって、
中入り後の途中で雨が降り出したとは考えられず
中入り前取組で一旦中止され、後晴天になって、
“再開”されたと考察したいのですが、如何?

Re: 弘化三年春2日目の疑問 - しろしたかれい

2025/01/15 (Wed) 22:06:32

田中様

書き込みありがとうございます。
起顕は通常右ページに◯日目、左ページに◯日目中入後と記載されていますが、弘化三年春二日目は右ページ左ページどちらも二日目とのみ記載されています。
また弘化頃は五段目→四段目→幕下二段目→幕内上段→中入→三段目→幕下二段目→幕内上段という流れで進行していますが、
この日の取組は下から番付順に並べられて雨天に付是切とあります。
推測ですがこの日は通常の中入前・中入後に分かれた勝負付が出てないか不明で勝負結果のみ番付順に並べたのではないかと。
見る限りこの日は三段目の取組数が他の日並みな一方幕下の取組数が少ないため、中入後三段目の終わりか幕下始まってすぐくらいで打ち切りになったと思われます。

Re: 弘化三年春2日目の疑問 - しろしたかれい

2025/02/07 (Fri) 23:39:21

田中様

相撲博物館に問い合わせたところ、実際の取組順は判明しませんでしたが起顕では三段目の取組が4番抜けていたことが判明しました。ありがとうございました。

天保十四年冬の千年川 相撲史研究者・田中 健

2023/05/11 (Thu) 21:54:34

 天保十四年冬場所五日目中入り後の取組
順序を調べて、番附外出場の千年川は幕尻
格なのか…疑問を感じました。
 幕下筆頭格が穏当かも知れません。

Re: 天保十四年冬の千年川 - しろしたかれい

2023/05/15 (Mon) 21:55:06

田中様

書き込みありがとうございます。
当場所の千年川の取組順につき見直したところ前場所の番付地位である二段目5が相当と考え星取表勝負付を修正いたしました。
天保13冬前頭7→天保14春二段目5への降下も当時としては異例ですが欠場続きへのペナルティといったところでしょうか。ならば天保15年春の幕内復帰も頷けるところです。
今後ともよろしくお願いします。

四ツ車与太夫 - やまびこ勘太郎

2023/04/03 (Mon) 23:43:25

いよいよ弘化年間まで来ましたね。
弘化2年春場所、二段目張出に四ツ車与太夫という力士がいますが、格付はどのぐらいでしょう。取組順からすると、二段目15枚目格ぐらいですかね。

Re: 四ツ車与太夫 - しろしたかれい

2023/04/04 (Tue) 22:10:53

やまびこ勘太郎様

確かに取組順を見ると二段目15あたりのようですね。翌場所の番付が東二段目16ですしご推察の通りと考えます。

Re: 四ツ車与太夫 - やまびこ勘太郎

2023/04/06 (Thu) 21:14:34

返信ありがとうございます。
江戸時代以来の十両(十枚目)以上の力士について調べている私としては長年気になる存在でした。

文化5年春場所星取表について スギウラ

2021/10/09 (Sat) 07:56:45

文化5年春場所星取表の中で、「藤嶋甚助」という人がいますが、他に情報無いでしょうか?
よろしくお願いします。

Re: 文化5年春場所星取表について - やまびこ勘太郎

2021/10/11 (Mon) 19:12:08

横から失礼します。
この人物については、『江戸時代相撲名鑑』(飯田昭一∥編)と、雑誌『相撲』平成2年2月号「年寄名跡の代々」(小池謙一)により、だいたいの経歴をつかむことができます。既にご存知かもしれませんが以下のとおりです。

甲斐国出身、明和7年生まれ。先代藤嶋甚助門人。始め三ツヶ濱利右衛門と名乗り寛政4年春場所序ノ口に出る。徐々に出世し9年秋場所二段目に昇進。最高位は10年秋場所の西二段目10枚目で、この場所9日目に師匠の名である藤嶋と改名。12年春場所限り引退。文化12年6月27日没、享年46歳(数え年)。現代に続く年寄藤島の3代目とされています。

Re: 文化5年春場所星取表について - スギウラ

2021/10/12 (Tue) 15:44:14

やまびこ勘太郎様
貴重な情報をありがとうございます。
大変参考になりました!

文化七年春の欄外、階 相撲史研究者・田中 健

2021/08/18 (Wed) 08:37:40

 文化七年春場所の番附欄外「階」は
取組順序から判断されて…幕尻格、
幕下筆頭格の何れが妥当なのでしょう
か…❔

Re: 文化七年春の欄外、階 - しろしたかれい

2021/08/23 (Mon) 23:40:34

田中様

取組順序からみた階の地位ですが、五日目六日目を精査したところ西二1大鳴戸の次位と見るのが矛盾がないようです。

文化7年春場所 - やまびこ勘太郎

2021/05/09 (Sun) 19:30:21

文化7年春場所の備考欄に、片男浪に関する記載がありますがどうもしっくりきません。もしかして次の7年冬場所のほうに記載される内容ではないでしょうか。

Re: 文化7年春場所 - しろしたかれい

2021/05/10 (Mon) 21:29:41

やまびこ勘太郎様

ご指摘ありがとうございます。文化七年春冬両場所修正いたしました。今後もよろしくお願いします。

幕下二所ヶ関銀十郎 相撲史研究者・田中 健

2021/04/05 (Mon) 08:23:27

 当方、文化二年冬、翌三年春の両場所とも
古番附コピーを所蔵していますが、幕下力士
「二所ヶ関銀十郎」が「二所ノ関」と名乗った
ことはありません。『起顯』に「ノ」とあれば
それこそミスです。

Re: 幕下二所ヶ関銀十郎 - しろしたかれい

2021/04/15 (Thu) 12:51:43

当ホームページは相撲起顕を星取表にするのを一義としていますので、管理人自身が実際の番付を見て誤りを確認したものについてはその旨記載しますがそうでない場合には相撲起顕の記載を優先します。ご了承ください。

番付になかった力士の出場について - 田口茂

2021/02/12 (Fri) 10:39:46

その場所に番付になかった力士が、出場したときの地位というか、呼び名について、お尋ねします。
基本的には、初めての場所に登場する力士は「付け出し」。
(現在がそうです。例えば幕下何枚目格付け出し)

現役の力士が、何らかの事情があって番付にないときに、その場所に出場したときは、「番付外」という理解でよろしいでしょうか?
(過去の江戸時代の小野川、雷電、稲妻、陣幕らが、番付に
載っていない場所が多々あります)

稲妻雷五郎がデビューした文政4年2月(当時巻ノ嶋)西二段目格番付外となっていますが、厳密にいうと「付け出し」ではないでしょうか?
というのは、他のいくつかの文献を調べたところ、稲妻のデビュー場所は「付け出し」という表記しています。
といっても、酒井日本相撲史でもそうですが、「付け出し」か、「番付外」というのは明確な区別をして使ってないようです。その時々によって使い分けているような感じがします。

しろしたかれいさんはどのように使われてますか?

Re: 番付になかった力士の出場について - 田口茂

2021/02/12 (Fri) 14:56:25

番付外でデビューするときは、何枚目格付け出しと呼びますが、いきなり番付けに登場するケースも「付け出し」です。
雷電が、いきなり関脇に登場。谷風のときは看板大関でしたが、いきなり番付に大関と。

小野川、稲妻、不知火諾、雲龍らは二段目付け出しと記述されていますが、稲妻は番付外で小野川、不知火諾、雲龍は番付に載っています。

小野川  西二段目1
不知火諾 西二段目28
雲龍   西二段目25

Re: 番付になかった力士の出場について - しろしたかれい

2021/02/13 (Sat) 22:12:50

田口様

当サイトでは番付記載の力士以外で取組に出場した力士は番付外に統一し、取組順から推測される地位を〇〇格と表記しています。
初土俵の力士は付出ですし五段目に場所途中から取組む場合は新序と表記すべきかもしれません。
しかし全力士について改名や混同など資料の不備で初土俵や最終場所をはっきりさせることはできませんので番付外表記に統一しています。

番付から消える? - 田口茂

2021/02/10 (Wed) 09:32:09

歴代横綱の下位時代(幕下以下)の成績を調べています。
阿武松の二段目当時(四股名は小柳清蔵)、文政4月10月だけ
忽然と名前が消えています。次の場所は小柳長吉として復帰。
こうした例は不知火諾、秀ノ山の二段目時代にも見られます。
天保4年10月、5年1月、10月。彼らの名前がありません。
二段目時代の彼らの四股名は黒雲、天津風。
そして10月場所の後半。彼らは番付外として出場しました。

江戸時代の大関力士が番付に載ってない。小野川、雷電為、稲妻らにしばしば見られます。理由としてはお抱え藩の事情によるものとかのようです。よくわかりませんが。
しかし、幕下以下の力士が番付が、突然消えるというのは理解できません。特に小柳(後の阿武松)の場合。どういった事情が考えられるでしょうか。現在だったらもちろん考えられないことです。明確な理由がなければいいです。疑問点としてコメントしました。

Re: 番付から消える? - しろしたかれい

2021/02/13 (Sat) 21:51:14

田口様

阿武松の小柳は幕下に上がってから文政3年冬まで盛岡頭書でしたが文政4年春は江戸頭書に変わっています。文政4年冬の欠場が関係あるかはわかりません。
黒雲は文政13年冬の初土俵から、天津風(北山)は次の天保2年春から雲州を頭書にしており、天保4年冬から5年冬は稲妻らと同様雲州絡みの欠場と思われます。文政13年冬に黒雲と北山は対戦しており(黒雲勝)北山はそこで実力を認められて抱えとされたのかもしれません。

抱え関係以外で番付から消える理由はわかりません。頭書が江戸でも出入りなどで大名抱えに近い立場もあったようですし、脱走・破門→復帰というケースもあるようです。


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